―この一台から私のクルマ遍歴が始まった―

埋め込み式のガソリン給油口、ダイキャストのエンブレムが特徴の42年式後期の懐かしいリアフード。
エンジンフード右下の丸いバックアップランプはガラス製で、勢い良くフードを閉めた時に割れてしまった。パーツが無かったらどうしょうとかなりうろたえたものだ。これはなんと、デイーラーから新品部品が取れたのだが15年後の今では絶対に無理だろう。
右上のスバル360のエンブレムはこの年から変更されたもの。ダイキャスト製でよくブツブツと錆びが浮いたものだ。
左下はスーパーデラックスとオーバートップ付きを4速を示すエンブレム。ノーマルでは3速なのだがそれにギア比:1の4速を追加してある。今思うと、3速ではとてもじゃないが100キロ巡航はつらかろう。
アクリル製のリアウィンドウはスーパーデラックスのみブルーの色が付く。曇って視界が悪くなったので、新品と取り替えた。しかし、どうも昔のものに比べて材質が良くないのか、夏の暑さでふにゃふにゃと曲がってしまった。いやあ、次から次ぎへと思い出が湧いてきます。

親がスバル360に乗っていたおかげなのか?子供の頃からスバル360が好きでしようがなかった。
学生時代、オレンジや赤など派手な色に塗り替えられたスバルを見るたびに、なぜオリジナルを保たないのだと憤慨した。早く金を稼いでスバルを買わないと程度の良い個体がこの世から無くなってしまうのでは?とあせりもした。スーパーカー少年がミウラやカウンタックを我がものにするのを夢見るように、私はスバル360をマイカーにする事が唯一無二の夢であった。ささやかな夢だと笑うなかれ。

社会人になった翌年、友人とドライブしていると、あるスバルのデイーラーが目に止まった。
なんとショールームにはあのスバル360ヤングSSが展示してあるではないか!
あわてて止まって、店に入ると裏手の草むらにもスバルの廃車体が何台も転がっている。ここのオーナーは相当の好き者のようだ。
さらに、工場の一番奧に良い雰囲気にオリジナルを保ったスバル360が潜んでいた。42年式後期、アイボリーホワイトに赤内装のスーパーデラックス、なんと走行2万キロ強!老人が使っていたというワンオーナー車である。
こういう逸品を発見した時の、あの何とも言われぬ喜びと興奮。古いクルマ好きならではの至福の時である。
全く、今思い出しても笑みがこぼれてしまう。
店の主人に恐る恐るこれ、売り物ですかと聞く。大事に乗るなら譲ってもいいよと言われ私は有頂天になった。
あんなに嬉しかった事はそうは無い。夢に見たスバル360のオーナーになれる時が来たのだ。

42年式後期のカタログより。サテンブロンズメタのスーパーデラックスの美しいことの上ないデイテール。この年、スバルは生産開始より10年を経て細部はほぼ完成の域に達している。
41年後期との大きな違いは、丸形のサイドマーカーの追加、ダイキャスト製になりデザインの変わったリアエンブレム、丸形の後退灯など。

新車時のサイドビュー。三角窓に付いている工場出荷時のOK ステッカーと真新しいホワイトリボンタイヤが新車の証。私が乗っていた頃は軽用の10インチのホワイトタイヤは極めて入手困難だったが今では再生産をしているようだ。この写真では姿勢は水平だが、古くなると経年変化で荷重の重いリアの車高が下がってくる。

              

残念ながら自分のクルマのダッシュボードを撮った写真は残っていないのでこれもカタログから引用。
シンプル極まりないダッシュボードだ。好ましくもあるが、ヒーターの利きがあまり良くないせいもあり、冬は寒々しい雰囲気がしたのを思い出す。
42年後期はインテリア部分の変更が一番大きい。安全性を考慮して、クラッシュパッド付きのダッシュボードとハンドルを採用したのだ。現代の目から見たら、このインテリアのどこが安全かと思わずにいられないが、これ以前の時代がともかくひどすぎて、ドライバーの安全など露ほどにも考えていなかったのだ。
スイッチ類も突起のない丸いものに変更された。上段中央はスーパーデラックス専用装備のフォグランプとヒーターファンのスイッチ。スバルは空冷なのでヒーターの利きが悪く、ファンがないスタンダードなどは非常に寒い。
リクライニングシートやウインドウウオッシャーが広告に出せたよき時代。下段中央はセンターフロア部のチョーク、ヒーター、フューエルコックのレバーを示す。

これは懐かしいカット。友人数人でキャンプに行った時、スバルをラリー仕様っぽくモデイファイしたのだ。と言ってもホイルキャップを取ってカッテイングシートを貼っただけに過ぎないのだが。

アルフィンドラムのブレーキがよくわかる。でもそれが逆に、当時のアルペンラリーの出場車らしくていい雰囲気だ。

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